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ヴィルフランシュ・シュール・メール

― 停泊する大型客舶の華やかさと漁師村の長閑さが混在する美しい湾 ―

 ヴィルフランシュ・シュール・メール Villefranche-Sur-Merは、ニースのすぐ東隣、モン・ボロンの丘を越えたところにある海沿いの町で、人口約8000人。地中海で最も美しいといわれる入り江と、浜辺から海抜570mに亘って広がる周囲の豊かで美しい自然で知られている。

 実際、街の名前が「免税(franchises)の特典に浴する自由な街」という意味のヴィルフランシュとなる以前には、「モントリヴ」Montolive(ラテン語のMonsとOlivaから成る)と呼ばれたオリーヴの木に覆われていた美しい丘だった。

 現在は、旧市街地と港周辺に残る昔の漁師村の長閑さと、丘に建ち並ぶリッチな邸宅や地中海クルーズなどの大型豪華客舶が立ち寄る入り江の優雅さとの全く異なる二つの顔を持っている。
 
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ヴィルフランシュの静かな入り江

 この街の紀元は、大変古く、鉄器時代の住居跡が近郊の山で発見されている。その後、リグリア人が住み、湾はギリシャ人によって利用され、紀元前130年、ローマ人が港を建築した。13世紀の末になって、この跡に、アンジュのシャルルが新しい街と港を再建してから、現在のようにヴィルフランシュと呼ばれるようになった。  

 1388年には、ニースと同様、サヴォアの支配下となるが、港がフランス‐トルコ軍の船隊によって占領された事件を契機に、1557年から、エマニュエル・フィルベール(非常に聡明で威厳が高く「鉄の頭」の異名を持つ)によって、強固に要塞化された。このため、18世紀の末まで、長い間、サルデニア王国の兵器庫、軍港として使われたという過去も持つ。

 19世紀になると、ロシアの船舶のための補給所が置かれ、やがて、別荘へやって来る王侯貴族の寄航地として利用された。かつて、燃料の石炭置場とされたサヴォアの徒刑所は、今は、海洋学の観測所 Observatoire Océanologiqueとなって、夏場に近くの海岸線で海水浴客を悩ませるくらげの研究など地中海生物の生態を調べている。

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ヴィルフランシュの色鮮やかな壁

 バス停オクトロワOctroiで下車。公園の東端に、ツーリスト・オフィスの小さな建物があり、この横の道を港に向かって下りて行くと、ニースから一歩隣町へ出ただけであるが、大都市と打って変わって、静かで可愛いらしい雰囲気となる。海沿いの古い家々の正面の壁は、イタリア式に、とても色鮮やかに塗られていて、水面に非常に美しく移り込む。ここに、色とりどりの小さなボートがぷかぷかと浮かんでいるのも趣があり、昔の穏やかな漁師村の風情だ。

 中世の魅力を残す旧市街地は、階段や坂道が多く、メイン通りのポワリゥ通りrue du Poilu に交差して、小さな路地が入り組んでいる。一風変わったオブスキュール通りrue Obscure(「暗闇通り」とでも訳せるか)は、何メートルにも亘って、洞窟のように完全に覆われている。中世の不安な時代に、住民が避難する場所として、何度となく使われ、今も、当時のままの姿で残されている。

blg villefranche rue 暗闇通り

 サン・ミッシェル教会Eglice Saint-Michelは、控えめなバロック様式で、有名なニースのグリンダ Grindaによる県内で最も古いオルガン(1790年)がある。

 カフェの並ぶウィルソン広場は、心地よく、日曜日には、アンティーク市も開かれる。また、海沿いのプロムナードには、レストランのテラスが軒を連ね、この先はビーチになっている。ビーチ沿いの壁は、ブーゲンビリアで飾られ、季節になると美しいピンク色に染まる。

 海に張り出すサン・エルム城砦 La Citadelle Saint-Elmeは、16世紀後半の稜堡城砦のよい例で、建築には、特に、イタリアから技術者が呼ばれた。跳ね橋や鉄柵などの残る門は、立派な石橋で繋がれ、その下は、深い溝になっていて、中世の頃を思わせる。内部には、大砲も並べられ、当時のイメージを演出している。これに加えて、丘上に、モン・タルバン城砦が増築され、町は複雑な防衛のシステムで守られていた。

 残念ながら、両方の城砦とも、1691年と1705年のフランスの侵略時に占領されているが。現在、城砦は、歴史的建造物に指定され、中には、市役所、美術館などがある。特に、ヴォルティ美術館 Musée Voltiは、洞窟のような小さな部屋が入り込み、城砦の雰囲気が窺えて面白い。

サン・ピエール礼拝堂

 港の横の小さなサン・ピエール礼拝堂Chapelle Saint-Pierreは、14世紀に、漁師の守護聖人、聖ピエールに捧げて建設された。一時期、漁網置き場などとして使われ放置されていたが、その後、改造され、1957年にジャン・コクトー Jean Cocteauが装飾し、現在は歴史的建造物に指定されている。

彼は、宗教的なインスピレーションを自由に表現し、独特の洗練されたタッチで、サン・ピエールの生涯を街の娘たち、漁師たち、魚たちと共に描いて、この街の漁師組合に贈ったという。礼拝堂の傍には、彼の胸像も置かれている。

blg villefranche chapelle c サン・ピエール礼拝堂

 コクトーは、1889年に、パリの近くに生まれ、74歳で亡くなるまで、生涯の多くをコート・ダジュールで過ごし、地域に多くの作品を残した。

 多彩な才能を持ち、作家(『恐るべき子供たち』など)、劇作家(『地獄の機械』、『エッフェル塔の花嫁』など)、映画監督(『美女と野獣』、『オルフェ』など)、さらに詩人、画家としても活躍した。1955年には、名誉あるアカデミー・フランセーズの会員になっている。

 ヴィルフランシュには、1925年にやって来て、『オルフェ』や『悲恋』のシナリオを書いた。晩年の1950年代には、すぐ隣のサン・ジャン・カップ・フェラ Saint-Jean Cap Ferratにあるサント・ソスピール荘 Santo Sospirにも滞在し、壁にフレスコ画を残している。

住所 1 quai Courbet Port de La Sante
開館 月曜日以外毎日 入場料 2ユーロ
    10時から12時、16時から20時半 (夏場)季節により多少変更あり
情報 Tel 04 93 76 90 70

ロチルド邸

 ヴィルフランシュを過ぎると、「世界の富豪たちの別荘地帯」と呼ばれ、豪華な邸宅が数多く並ぶ岬、カップ・フェラ Cap Ferratである。ここには、岬を一周する約11㎞の静かな散歩道がある。人通りも少なく、街のざわめきから離れ、地平線まで続くコート・ダジュールの海と海岸線の白い岩肌と木々の緑を眺めながら、心行くまで散歩を楽しめる。

ボーリュウ寄りのプロムナードから出発するのがよい。半島の周辺には、小さな緑に囲まれた静かなビーチも幾つかあり、途中、港に豪華ヨットの並ぶ、シックな村、サン・ジャンも通る。

 この半島の中程、7ヘクタールに及ぶ広大な敷地の中に、船のデッキに見立てたという庭園を持つ明るいピンク色をしたロチルド邸 Villa Ephrussi-Rothschild(1912年に建築)が公開されている。「夢の別荘」と呼ばれ、正に、バラ色の人生をこの邸宅で過ごしたベアトリス Béatrice Ephrussi-Rothschildの家具、衣装、食器などの眩いばかりのコレクションも展示されている。

バラを愛したという彼女の別荘だけに、バラの季節の美しさは、また格別である。さらに、噴水のあるフランス庭園、竹の植えられた日本庭園などテーマ毎に分けられた広い庭を散歩した後に、サロンで一息つく事もできる。www.villa-ephrussi.com

 また、半島の付け根を通り過ぎた辺りにあるボーリュウBeaulieuの村は、小さいながら、ベル・エポックの素晴らしい建物(大きなガラス窓と丸いサロンが印象的な建物、ロトンドやカジノなど)が並び、豪華な雰囲気がある。フルミ湾Bais des Fourmis周辺は、手入れの行き届いた心地よい庭園が散在していて、平和な心持ちがする。ここでも、海沿いに静かな散歩道が造られているので、散歩に良い。

ケリロス邸

 この村の中央には、1902年に、ギリシャに魅せられた考古学者が建てたという歴史的建造物にも指定されている素晴らしいケリロス邸La Villa Greque Kérylosが公開されている。  

 ケリロスは、ギリシャ語で「海燕」を意味する。内部に置かれた家具や芸術品を含めて、紀元前2世紀頃の古代ギリシャの邸宅を完全に再現した館で、美しいモザイクやフレスコ画で飾られている。鉄道でも便利で、ボーリュウ駅から歩いて9分。www.villa-kerylos.com

blg villefranche villas
海に浮かぶケリロス邸 と ピンク色をしたロチルド邸
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テーマ : 日帰りお出かけ - ジャンル : 旅行

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